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第6日目

カイロ駅 ⇒特急列車(1等車)⇒アレキサンドリア⇒バス⇒市内観光⇒世界遺産アブミナ遺跡
バス⇒カイロ⇒ナイル川ディナークルーズ

早朝のカイロ駅
通勤客で賑わっている
ライフル銃を持った警察が2人警備に当たっていた
写真を写そうと試みたが止められました

カイロの1等特急列車
1等特急列車に乗ったものの 座席が壊れて座席ごとひっくり返り大慌て
日本のJRでは考えられないけれど 時刻表の通りに列車は運行されません アレキサンドリアに着いたのは1時間余り延着
おまけに雨です 大阪のH急社のバスがひっくり返った曰く付きの道路 信号は全く有りませんが
ひっくり返ったら怖いし・・ゆっくり ゆっくり走って アレキサンドリアは観光出来ません 割愛です
何しに行ったか解らないけれど 命有っての物だね!!文句は言えません 旅にハプニングはつき物です

アレキサンドリア
エジプトの第2の都市で「地中海の真珠」と言われる
カイロの北西208キロ 車で3時間 カイロは埃っぽいが緑が豊かで美しい町 
紀元前331年アレキサンダ−大王によって彼の王国の首都として築かれた
その後7世紀にわたり 世界最大の図書館を擁する古代世界の学術の中心としてギリシャ・ローマの最前線で輝いた 
クレオパトラとアントニーの激しい恋の舞台になりました 神殿は海底に沈んでしまった
ナポレオンがこの町を訪れた時は小さな漁村に衰退していた

クレオパトラ7世(鼻の高さ?) アレキサンドリア駅 カイト・ペイの要塞

アブミナ
聖メナス修道院
修道院で作られたジャムや蜂蜜が格安で販売されています ガイドさんやバスの運転手さんも買っていました
皆さん沢山買っていましたけど 壜つめの為重いのではと敬遠

ナイル川ディナークルーズ(ベリーダンス)
乗船客も参加してのダンシングです トルコのベリーダンスとは趣がちがいます
イスラム圏でのダンサーは日本とは異なる感覚でした

第7日目
カイロ市内観光
ホテル⇒バス⇒城塞⇒モスク

サラーハ・アル・ディーンのシタデル(城塞)

サラーハ・アル・ディーンのシタデル(城塞)

モカッタムの丘にあるこの城塞からは
カイロ市内を一望に見渡せる
ギザのピラミッドも見える
1183年 アイユーブ朝の創始者サラーハ・アル・ディーンが築く
壁内に
アラバスターモスク(ムハンマド・アリ・モスク)
ソリマン・パシャ・モスク
岩を90m掘って造られた2階建ヨセフの井戸
軍事博物館等がある

ムハンマド・アリ・モスク(アラバスター・モスク)
城塞の北側頂上にある 壮麗なモスク
内部及び外壁ひ石膏をしていることからアラバスター(石膏)・モスクと呼ばれている
モスクに拝する時の決まり @足を出さない A靴を脱ぐ

城塞の北側頂上にあるモスク
ハンマド・アリ・モスク
壮麗なハンマド・アリ・モスク 中庭からのモスク入口
モスクの祭壇
偶像崇拝を禁止したシンプルな祭壇
意外な感じですが 
神対自分の祈りを捧げる
安息日は金曜日
丁度集会礼拝日に当たりました
大勢の人が集会に参加していました
1階は男性 2階女性
中庭の聖水 清めの水場
後に聳える時計台はフランスから送られ
ルクソール神殿入口のオペリクスと交換

エジプト考古学博物館

世界最大のエジプトの遺物を展示する博物館
展示品は歴史的価値及び芸術価値が高い

もっとも注目されるのがツタンカーメンの秘宝
見応えの有る素晴らしい物でした

ミイラ室には歴代の王や王妃のミイラが
納められている

第8日目
カイロ発(現地時間16:15) ⇒ 機中泊 ⇒ 関西空港着(11:00)

お医者さんに頂いた 睡眠導入剤を飲んでぐっすり眠って疲れも無く帰国しました
行く前には「必ず全員が下痢をするから胃腸薬を忘れないように」とアドバイスを頂いていました
なにしろ スパイスの匂いが強くて食が進みません
途中に1度お腹が痛みました 生水・生もの(サラダの駄目)は一切口にはしません
火を通した物だけ頂きました イスラム圏の為 豚肉はご法度です 主に鶏肉ですが 鳩の肉も頂きました
友達は帰ってから 下痢で困ったと言います

エジプトは遠い国です ホテルは超豪華で観光産業は整っていますが 発展途上国です
空き地で遊ぶはだしのサッカー少年・空港で荷物を運ぶ重労働の小学生か中学生位です
ナイル川クルーズでは小船に乗って大声で歌を歌い観光客に物乞いをする アルバイト少年(小学生位)

貴重な文化遺産は先進国の博物館に有る(イギリス・フランス・アメリカ・その他)と言う現実
博物館で説明は写真です 現物はイギリスの大英博物館ですと言われました 
文化遺産の流出の歴史背景は単純では無いけれど 違和感を感じます

一度壊した文化遺産は2度と元通りにはなりません