ト ル コ

東洋と西洋を結ぶ文明の十字路
トルコぐるり周遊8日間
2003 01 03(金)出発


トルコの写真(トルコ旅日記の後に写真を並べました 下方へスクロールして下さい)


トルコ旅日記(思いつくままに 旅の感想を綴りました 私の独断と偏見ですが・・・)


@トルコの旅への旅立ち
1月3日 11:40関西空港発 成田空港経由 成田空港14:50発 トルコ航空TK−46便 
成田⇒イスタンブール迄 所要時間は12時間50分です
ツアーの参加人員は35名で 老若男女がバランス良く混じっています
飛行機はガラ空きで 4人掛けの座席を一人が占領して ゆっくり横になり イスタンブール迄ぐっすり眠れました
イスタンブールの空港に着いて 飛行機が空いている理由が解りました
日本人観光客は入国審査はフリーパスで簡単でした けれどアラブ系イスラム圏の方々は念入りで時間が掛かり 
別室へどうぞのケースも目の当たりにしました
ヨーロッパもアメリカも多分世界中の国がアラブ系の人の入国を制限している時期で簡単に旅行が出来ないのです
改めて 戦争の危機を感じ 厳しさを痛感しました


A走れ!走れ!2700km
イスタンブールからバスで出発 運転手はムスタファさん 助手は弟のイスマイルさん ハンサムボーイです
現地ガイドはケナンさん 写真掲載の許可を頂いていますので 写真の欄をどうぞ!
マルマラ海を右手にダーダーネルス海峡をフェリーで渡り 
右手にエーゲ海でスペイン風の高級リーゾト地を眺めながら トロイへ⇒ベルガマ⇒エフェソス
次は地中海を右手にバムッカレ⇒コンヤ⇒カッパドキア⇒アンカラ
アンカラエキスプレス1等寝台で再びイスタンブールへ
その間2700km 1日800kmの移動の日も有り 朝は大体7:30頃出発 夜はホテルに入るのが7〜8時頃です
体力勝負の過酷な旅です


Bお餅は 危険な食べ物?
ガイドのケナンさんから聞いたお話です
あるトルコ人がケナンさんに聞いたそうです
「日本人は御餅を食べて お正月に死んでいるが どうしてそんな危険な食べ物を食べるのか?
そんなに美味しい食べ物なのか」と
お正月にお餅を食べて20数名死んだ事はニュースになってトルコまで報道されています
私は思わず「ふぐを食べて毒に当たる事」を連想しました
お餅が危険な食べ物とは! 認識が甘いでした!
丁度 日本から「小倉山荘のおかき」を持参していましたので 其れを差し出して言いました
「お餅は外人が食べて美味しいと思う人は少ないと思います 之はお餅を加工した物です
これは外人でも美味しいと思います」


C通貨(トルコ・リラ)
トイレの使用料       250,000〜500,000TL(25円〜50円)
ターキシュコーヒー     2,500,000TL         (250円)
タクシー          1,500,000〜5,000,000(150円〜500円)イスタンブール市内
軍事博物館入館料   1,500,000TL (150円)
皆さん お解りと思いますが0を4つ取った数字が 日本円の価格です(0の数が多いので戸惑います)
しかし トルコはひどいインフレで一日レートは3回交換の度に変わります 
トルコ人は給料はトルコ・リラで貰って 米ドル預金をして 使う時に又トルコ・リラに交換します
従って 買い物は米ドルが便利で地方に行くと必需品です
都市では 日本円も喜ばれます 日本円からトルコ・リラの交換はOKです
日本人観光客を見つけると「3つ 千円」「千円!」「千円!」とうるさく呼びかけてきます
お財布は3つ 日本円  米ドル  トルコ・リラ とにかく ややこしいです 最後まで馴染めませんでした


Dおにぎり
トルコの食事は 朝晩ホテルではバイキング これは何だろうと不審感を持ちながら 食べてみないと解りません
比較的野菜料理が多く助かりますが なにしろ味付けがイマイチです
朝 食欲も無く食堂へ重い足を運んで驚きました!!!ナント!!白いご飯の三角おにぎり 黒ごま付きです
蒲鉾とお漬物まで付いているでは有りませんか!!「お一つ どうぞ!」この言葉に大感激
次の日から 思わず期待しました 助かりました 牛乳しか喉を通らない日が有りました
四国は松山の社員旅行の16名の団体様 皆さんとても良い人です(おにぎりを頂いたからでは有りません)
「如何されたのですか」お聞きしました 電気釜と無洗米と水を持参 若者が係りで朝から握りました 感心です!
皆さんのお陰で 楽しい旅となりました Mさん 皆さんに宜しくお礼をお伝え下さい


Eトルコ商人のしたたかさ
戦争が緊迫している事は 「キイ〜〜ン」と音を立てて空を飛ぶ戦闘機からも解ります
トルコは政教分離でナトーにも加盟を希望する国でAUです アメリカ軍の軍事基地もあるそうです
戦争が始まると 観光客は来なくなり 高級絨毯やトルコ石等が売れなくなります
今のうちに 売っておこうと 必死です 商品を車に積んで観光バスを追いかけて来て商売をします
定価が有りません 何でも商品を買う時は 半額から交渉です 
パンフレットはトロイで10ドル エフェソスで2ドルです 人が値切って買うのを見て感心して
絶対あの値段以上では買うまい!なんだか正直者は馬鹿を見る世界です!
お金で値切るより 量を増やしての買い物の方が良いみたいです
帰ったらお人形が10個 ブレスレットが15個 こんなに同じ物を沢山買ってどうしょう?
でもテーブルセンターが良いベッドカバーになっただけで 満足です


Fツアー・ショッピング
お決まりの観光バスご一行様 お店に横付けショッピングです
1、トルコ石の宝石店
  トルコ石の高級品は美しいブルーの中に金や銀がキラキラと光っているのです 
  初めて見る本物の宝石にうっとりです
  日本でもトルコの下町バザールでも あの様な美しいトルコ石は見ませんでした
2、皮ジャン・皮のコート
  ヨーロッパのブランド商品は主にトルコで作るらしいです 子羊の柔らかい皮のコート
3、絨毯
  シルク絨毯は繭から糸を取り紡いで 図案を見ながら女性が手で織り上げます
  1cuの中に結び目が幾ら有るか 裏の結び目が美しく裏・表両面が同じ美しさである事
  確かに 織る工房を見学して 緻密な根気の要る手作業です
  ウール絨毯も同じ選び方
  お値段が問題で日本円で玄関マットが3〜5万円 3畳絨毯が35万円〜150万円 上はキリが有りません
  此処でも 値段は交渉次第で商談成立すると大きな拍手です!私は怖気付いて手も足も出ません
  日本人は良いカモにされているのでは?日本家屋に絨毯文化が未だ馴染まないのでは?


G美しい日本語と現在の若者言葉
日本の若者言葉は変化しています
略語・・・・・・難しい⇒むずい  中途半端⇒ぱ  フランス語⇒フラ語  家庭教師⇒カテ教
ラ抜き・・・・見られない⇒見れない   来られない⇒来れない
敬語の誤用又は不使用  語尾を伸ばす話し方  仲間だけに通じる言葉です
トルコ人の日本語はガイドのケナンを始め 誠に丁寧で美しいのです 
現在日本で忘れられている日本語の美しさ 丁寧語 敬語が使用されています
「日本語は何処で学ばれましたか?」とお聞きすると 「独学です」と言われます
トルコ語と日本語は文法が良く似ているそうです 名詞+助詞+動詞のフレーズです
従って 日本観光客が多く商売の為でも有りますが トルコの若者も日本語が堪能です
トルコ人の日本語に 本来の日本語表現の美しさを再発見した事は皮肉な事です


Hトルコ風エステ「ハマム」
トルコには蒸し風呂式浴場が有る ローマのスチーム風呂の流れを汲みます
特徴はアカすりとオリーブ・マッサージで疲れた身体をリフレッシュさせます 
その後温泉のジャグジーのプールに入りひと泳ぎです ベルガマとバムッカレで2晩続けてお願いしました
イスラムの教えでは「清潔は信仰の半分」だそうです
多角形の部屋の中央に多角形の大理石のヘソ石がありその上に7〜8人は横になれます その回りが洗い場です
ヘソ石が暖かく オンドルのようです その上に 「トド」のように寝そべって身体がしっとり汗ばむのを待ちます
それから垢すりです 驚くほど垢が出ます
その後のオイル・マッサージ本当に気持ちがよく 疲れた足を念入りにマッサージして呉れます 
又ヘソ石に寝転んでオイルが身体に浸透するのを待ちます


Iトルコの気候
年末に添乗員のWさんから「11月に行った時は寒いでした 特にカパドキアは山の中で雪が降っていました
滑らない履物で 防寒衣類で参加ください」と連絡を受けました
寒さに弱い私は 小母さんシャツからスパッツ完全防寒仕度です 
日本の東北地方とほぼ同じ気候ですが 国土が広い為 地方によって大変違います
エーゲ海沿岸や地中海沿岸は温暖な気候です カッパドキアの様な山間部では雪も降り寒いです
山間部は所々に雪が残って 山も谷に雪が残っていました
私達のツアーは全日程が好天気に恵まれ 光線が強く 写真はハレーション気味で逆光で困りました 
暖かくてTシャツとセーターで充分で外へ出る時は薄いコートを着ますが 無くても良いくらいです


Jランチは屋台で
自由行動の日はランチは自由食です
「郷に入れば 郷に従い」の言葉に従い 現地の人が食べる昼食を食べようと相談が纏まりました
タウスイム広場の付近は歩行者天国も有り 現地の人が遊びに集まる所です 日曜日でも無いのに
多くの人が たむろしています 色んな屋台がずらりと並んでいます
屋台は店先で炭火で肉をジュージューと焼き香り高く 美味しい臭いで客を誘います
屋台の中は10人程は座れる 小さな椅子とテーブルが有り 身体を斜めに「ゴメンナサイ!」と入ります
現地の人ばかりですが 笑顔で迎えて呉れます
イスラム圏では 豚は食べません チキンか牛肉のシシカバブです
クレープにそのシシカバブを大きなナイフでそぎとって 包んで呉れます「ノン、スパイス」を頼みました
美味しいですが 塩辛いのです 舌が変になりそうです
飲み物は生のオレンジジュースでシシカバブ・クレープ包みだけでお腹が一杯です
現地の人は大食漢で食欲旺盛です 私は呆気に取られて 見ていました


Kモスクと祈り
トルコは到るところにモスクがある
半円球を被せた様な屋根の建物に鉛筆の様な塔が1本又は2本建っている
(感じとしてはブルーモスクの写真を参照して下さい)
夜明け前に大音響と共にお祈りが流れて来ます 必ず目が醒めます 驚いて飛び起きます
あぁお祈りの時間だ! 信仰心の無い私でも 何だか義務感に駆られます 
信心深い人は キット大音響と共に祈り 忘れていた人は驚いて慌てて祈るのでしょうか?
イスラムでも比較的戒律が厳しくない トルコではスカーフを巻いた婦人は地方で多いですが 
イスタンブール市内は殆ど見られません
男性で布を頭に掛けて輪で止めるフセイン・スタイルの人は見かけませんでした


Lイスタンブール一人歩き
ホテルから軍事博物館までタクシーで3人で出掛けました
私はトルコ陸軍の軍楽隊のコンサートで男性コーラスや吹奏楽が楽しく離れられません
二人の友人はショッピングが好きで 此処で別れました 一人で充分愉しんで 衛兵の交代も写真に収め
「さぁ〜帰ろうかな〜〜」と思った時 タクシーで来た道は割りと簡単だったなぁ〜〜「歩いて帰ろう〜〜」
準備です! 先ずカメラをバッグに収めました 観光客は狙われ易いのと気を引き締める為です
コートの下にショルダーバッグを掛け直し ひったくり対策をしました
「恋のイスタンブ〜〜ル♪♪」(この歌は江利チエミの歌だと友人が教えて呉れました)
鼻歌混じりで 歩き始めました 「マダ〜〜ム」と客引きが声を掛けます 無視です!!
大阪で言うと 御堂筋の様な通りで銀行や各航空会社の支店やオフイスが並びます 
その中に手作りのケーキ屋さんがやたら目立ちます トルコのケーキは気分が悪くなるほど甘いです
ショッピングはあきらめました 何しろ値段の交渉が面度なのです 定価で買う事は先ず有りません
2km程の道を30分ほどかけて ウインドウショッピングをしながら ブラリ・ブラリと歩きました
後ろから来る人には注意をしながら 緊張したけれど 楽しく 良い経験でした


Mデジカメ用電池の充電器
単3形充電器を購入する時  海外対応(オートポルテージ)を買いました
「ヨシ!これで大丈夫!」出掛けて行きました
ホテルに入り「電源!電源!?????」おかしいな〜〜? コンセントが合いません
「こりゃ 駄目だ」 ツアーの人にお聞きしたら アダブターは別売りで それが必要らしいです
昨年10月にデジカメを購入して 海外は今回始めて 未だ取り説を持参していました
風景はデジカメで 人物はコンパクトカメラで 全部で400〜500枚は撮りました
幸い 単3の乾電池は多めに持参していましたので無事写真は撮りました 
素人はミスが多いです 「これで大丈夫!」な〜〜んて 思い込みが激しいです


Nトルコ国内便 旅客機炎上
この話題は 書くか如何か迷いましたが 事実ですのでやはり記録に残します
日本でも報道されましたが ディヤルバクル空港で帰国の前日に トルコ航空国内便が着陸に失敗
爆発・炎上しました 5人は救出されたが 残る75人が犠牲になりました
「悪天候による事故」で当時、空港付近は濃い霧に覆われていたそうです
この時期です 「フセインが何か仕掛けたのでは」と憶測が流れました
ガイドさんも添乗員さんも詳しい情報は話されませんが テレビで報道されていました
ツアーの方々は皆知っていましたが 冷静で誰一人動揺の様子も無く行動しました
この時期 この土地を旅する事は不謹慎と思われる人も有ると思いますが
旅行社が外務省と連絡を密に取り 大丈夫との答えが出ました


Oアラジンのパンツルック
アラブではドレープがたっぷりのアラジンのパンツを履いた女性を良く見かけます
アラビアンナイトのお話の挿絵でも見かけます
「どの様にして仕立てるのかしら」 ず〜〜と観察していますが 解りません
ギャザーが多すぎて 見えないのです でもズボンの様に股に切り込みが有りません
ハマムでお話が出来た 婦人に思い切って尋ねてみました
大きな封筒状を想像して下さい 
縦に長四角で底が縫って有ります 下の両角に足が出る穴を明けます 
上はウエストに合わせて ゴムを入れます 実に簡単な伝統衣装です
柵を跨いだり は出来ないと思います


Pベリーダンス
ベリーダンスは、古代エジプトの壁画に踊り子の姿が描かれているほど 長い歴史がある
中近東各地で娯楽として親しまれてきたが イスラムの浸透とともに、女性の露出度が多いダンスは敬遠された
比較的戒律の厳しく無いトルコでは コンサートで結婚式で飲み屋さんで ディスコで皆で踊る
「ハディ! ハディ!(さあ さあ)」と声をかけて踊りの輪の中へ 見物人を誘い込む
エキゾチックな音楽のリズムに合わせて 楽しく踊るのです


Qサッカーは熱狂的
タクシーに乗ると運転手は日本人と知って フットボール! ワールドカップ! と話し掛けてきます
「喉元過ぎれば 暑さ忘れる」日本で開催と言う事で テレビ観戦をして にわか サッカーファンでしたが
そう 「言えばトルコと決勝トーナメント第一回戦に戦い負けたっけ」・・全く頼りない返事を返しました
トルコは3位決定戦で 韓国に勝ち 堂々3位に輝いた サッカーに強い国で 誇りに思っています
経済不況(日本も他人事では有りません) インフレ にあえぐ 国民に大いなる自信と勇気を与えています


R戦争前の静けさ
トルコは国の面積は日本の2倍で人口は約半分 それもイスタンブールやアンカラに集中して 
地方は人口が少なく 車も殆ど走っていません
歩行者天国(大阪で言えば心斎橋筋)も昼も夜も賑わっています 只 ポリスマンが多いのが目立ちます
観光客は警官や軍人の警備が厳しい方が有り難いですが
国境ではクルド人の難民がトルコに流れて来てトルコ政府が難儀しているとガイドから聞きました
私の感じでは 戦争前の静けさか 平穏無事な時間が流れていたようです


S厳戒体制の中帰国
アメリカのイラク攻撃はもはや 避けられ無い様子です 世界が平和であって欲しい! 
戦争で失われた人命 戦争で破壊されて文化遺産 戦争で失われた総てのものは 二度と戻りません

帰国の日がきました 空港は昨日の国内線の飛行機墜落で 軍隊や警備員がやたら多いです
1回目 空港に入る時 金属探知機は性能が良いのか 大体の人がチンチンと鳴り ボディチェックを受けます
2回目 お決まりの出国審査 パスポートと搭乗券の審査
3回目 搭乗者待合室に入場の時 又金属探知機 之も性能アップでやたら警報機 大方の人が引っかかります
     私はセーターの下に 腰に貴重品を巻いていましたら 婦人警官に呼ばれ チェックを受けました
4回目 飛行機に乗る時 パスポートの写真と人物 搭乗券の名前 のチェック
飛行機は少し遅れて 出発です かえって此処まで厳重にして頂いて 安心しました
飛行機の中はガラ空きです 夕食時にワインを頂いてぐっすり眠りました
「グッ・モーニング」 スチューアデスさんの声で起こされ 朝食を頂きました
10日(金)朝10:30 関西空港に無事帰国致しました 

  取り留めなく 綴りましたが 最後までお付き合い頂きまして 有難う御座いました
  之で御終いにさせて頂きます


トルコの写真

Gennti gaido no kenannsann desu



トロイ遺跡
幾層にも重なった長い歴史の栄枯衰退
「トロイの木馬」の伝説を信じたドイツのシュリーマンが発掘
数字は発掘の層が異なる説明
(紀元前300世紀〜700年頃)









トロイ遺跡
聖域(トロイ第8市)
















トロイの木馬
どうしても陥落出来ないトロイを破る為
ギリシャ軍のオデッセイは戦いをあきらめたように見せかけ、一人の生贄と巨大な木馬を神に捧げて全員が引き上げる
戦いが終わったと この木馬を城内に入れて 大饗宴を始めたトロイ軍
実は木馬の中にはギリシャ軍が隠れていた 潜んでいたギリシャ兵は城に火を放ち
引き返したギリシャ軍と共に攻撃を開始
難攻不落のトロイは陥落
10年に及んだトロイ戦争は終わった
トロイ遺跡
住居壁 昔はエーゲ海にと続く
(トロイ第1市)















ベルガモン遺跡
アクロポリスに残るトラヤヌス神殿
ローマ皇帝ハドリアヌスが、先帝トラヤヌスに捧げた 大理石の神殿正面6柱、側面9柱のコリント様式(紀元前4世紀)










ベルガモン遺跡
アスクレピオン

古代の総合ヘルスセンター
紀元前4世紀〜紀元後4世紀まで使われた 総合医療センター
入浴して身体を清め宿泊した







ベルガモン遺跡
アスクレピオン
蛇の彫刻を施した円柱
脱皮する蛇を 生まれ変わる 
生き物=再生と捕らえた
特に現在で言う「癒し」精神医学を重んじた治療を施した







ベルガモン遺跡劇場
傾斜のある劇場で音響も非常に良い
眺望を遮らない為 舞台は催し物の時木製で組まれた
扇形で、アクロポリス全体も劇場中心に扇形に広がるプランになっている











ベルガモン遺跡
朝早く 町を覆う雲海
写真技術が未熟で 美しさがお伝え出来ないのが残念です















エフェソス遺跡
ハーバー・ストリート
(アルカディアン)
クレオパトラも恋人アントニウスと歩いた道












エフェソス遺跡
セルシウス図書館

紀元後135年C・セルシウスに捧げられた
石棺が発見され 遺体の安置されていた棺底から鉛のプレートが発見









エフェソス遺跡
ハドリアヌス宮殿 
2世紀のローマ皇帝ハドリアヌスに捧げられた














エフェソス遺跡
聖マリアの家
聖母マリアが死を迎えた家















バムッカレ観光
階段状に連なる世界遺産の石灰棚
石灰棚は台地上部から流れ出る石灰成分を含む湯が、長い時間を経て結晶し 台地全体を覆ったもの
朝日に照らされて・・

石灰棚に入ったよ!
靴下を脱いで 滑らないように用心しながらそろそろと歩きます
水温も温かく フットバスに入ったようです

バムッカレ観光
階段状に連なる世界遺産の石灰棚
石灰棚は台地上部から流れ出る石灰成分を含む湯が、長い時間を経て結晶し 台地全体を覆ったもの
朝日に照らされて・・







バムッカレ
ネクロポリス

(墓)















バムッカレ
ネクロポリス

(墓)















コンヤ市内
カラタイ神学校

















シルクロード
隊商の宿

ラクダと共にこの宿に泊まった
夜になってしまって 写真がピンボケです
シルクロードの旅は盗賊などの危険を避ける為 隊を組んで致します
火を燃やして輪になり 各地からの情報を交換しました









世界遺産カッパドキア
ギョレメ渓谷
ヒッタイト時代から交易ルートの要の町
4世紀前後からキリスト教の修道士が凝灰岩に洞窟を掘って住み始めた
外敵から身を守りつつ 信仰を守り 洞窟内の天井や壁に見事なフレスコ画を残した
地下何十mにも掘り下げられた地下教会も有る




世界遺産カッパドキア
ギョレメ渓谷
ギョレメ谷には30以上の岩窟教会が有る
それぞれの教会に壁画や洞窟の特徴を語るようなトルコ語の呼び名が付いている
教会のフラスコ画は撮影禁止でした









世界遺産カッパドキア
ギョレメ渓谷
ラクダ岩
凝灰岩が水と風化で侵食されて
こんな形になりました












世界遺産カッパドキア
ギョレメ渓谷
ギョレメ谷には30以上の岩窟教会が有る
それぞれの教会に壁画や洞窟の特徴を語るようなトルコ語の呼び名が付いている
教会のフラスコ画は撮影禁止でした








世界遺産カッパドキア
ギョレメ渓谷
アナトリア高原に広がる大奇岩地帯














世界遺産カッパドキア
ユニークな形のキノコ岩
















世界遺産カッパドキア
しめじみたいなパシャバー地区の
きのこ岩















世界遺産カッパドキア
数億年前エルジェス山の噴火ににより造られたもの
火山灰と溶岩が数百メートルずつ積み重なって 業灰岩や溶岩層になった
風雨に打たれて侵食が進み 堅い部分だけが残されて不思議な形の岩になる








世界遺産カッパドキア
三美人岩 遠くにかすむ山が美しい















トルコ絨毯
ハンドメイドで女性が見事な手捌きで織り上げる
















カッパドキア
ムード満点の洞窟レストランで食事
壁やテーブルや椅子は柔らかい岩をくりぬいたもの
















カイマクル地下都市
戦火を逃れる為 女性や子供が生活をした
貯蔵庫としても最高の環境です














アンカラエキスプレス
アンカラからイスタンブール迄
夜行列車の1等寝台にて移動

トルコの国旗が見えますか














イスタンブール
グランドバザール

















イスタンブール
グランドバザール

















イスタンブール
スルタンフメット・ジャミイ

ブルーモスクの名で親しまれている
大きなドーム鉛筆型のミナーレを持つ、トルコを代表する イスラム寺院











イスタンブール
トプカプ宮殿

3大陸を制したスルタンの栄華を今に伝える

15世紀の半ばから20世紀初頭にかけて強大な権力を持つ オスマン朝の支配者の居城












イスタンブール
軍事博物館
陸軍の音楽隊による コンサート
日本人を見て 日本語で「さくら・さくら」を歌ってくれました










トルコ陸軍
衛兵の交代
「私は日本から来ました 写真を撮らせて下さい」と お願いすると 隊長さんが飛んで来て「ウエルカム」と握手してくれ
掛け声をかけて写真のポーズです
「ありがとうごだいました」と言うと
また 握手で恐縮です
(片言 英語で通じたのかなあ〜〜不思議ですが・・)




ベリーダンス
ベリーダンスは 古代エジプトの壁画に踊り子の姿が描かれて居るほど 長い歴史が有る
イスラムの浸透により 女性の露出度が多いダンスは敬遠されたが 比較的戒律の厳しく無いトルコではコンサートで パーティで 結婚式で 飲み屋さんで踊る
妖艶な体の動きで なまめかしい衣装で踊る女性の踊りとエキゾチックな音楽で民族衣装を着た民族舞踊がある
「ハディ!ハディ!(さあ!さあ!)」と観客を踊りの輪に誘い込む
リズムは7拍子や8拍子 3拍子や4拍子の変形でバンドの乗りで早くなったり遅くなったり
一緒に踊りましたが リズムが取りにくいでした
イスタンブール
オルタキオ・ジャミイ
ボスポラス海峡でアジアとヨーロッパに分かれている
橋は両方を繋いでいる
イスタンブールッ子や国内観光スポットで外国人観光客はあまり見ない
静かで 雰囲気が最高に楽しめる穴場です







イスタンブール
タウスィム広場


















イスタンブール
ヴァレンス水道橋
ヴァレンス帝時代 378年に完成
水は市街地の北の有るベオグラードの森から地下宮殿へ注がれていた