イタリア

ボンジョルノ!
感動のイタリア周遊12日間
2010年12月22日(水)~2011年1月2日(日)

イタリア
すべての道はローマに通じる。

イタリアの写真スライドショーを作りました
BGMを聞きながらお楽しみ下さい
約50分程続きます

画像をクリックして下さい
動画はダブルクリックすると全画面に大きくなります

 


イタリア
すべての道はローマに通じる。
太陽の国、遥かなる歴史が現代に生きづく国、ルネッサンスが花開いた芸術の国、
夢のようなワインと料理に出会えるグルメの国、豊かな感性に裏打ちされた最先端のファッションの国…。
イタリアの素晴らしさを語る言葉は尽きません。

美しい風景、映画で見た数々の観光名所。
本場のオペラや人気のサッカー。そして何より陽気で気さくなイタリアーノ

今回は南イタリアから始まってイタリアの主な観光地を駆け巡る忙しい旅でした

参加者は夫婦7組・男子一人参加3名・女性一人参加1名・母子参加2組・女友達1組の計24名です
お正月休みの為か中学3年生のお嬢さん・現役の人が多く平均年齢は若いでした

女性添乗員の吉田さんはベテランで最高のチームリーダーでした

資料出展はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を参考にしました


第1日目
2010年12月22日(水)

      関西空港11時50分発のフィンランド航空でヘルシンキ経由で出発(フィンランド航空は冬の料金設定が安いらしい)10時間20分
      ヘルシンキで乗り換えてローマへ(約3時間半)
      ローマの現地時間19時に到着したが、5個の荷物が届かず手続きに時間がかかり、
ホテル到着は深夜でした


冬のフィンランド航空は格安運賃? 
   
長旅の楽しみは機内食
 
ヘルシンキは雪景色で昼間も薄暗い
   
ローマのホテルに辿り着いたのは深夜でやっとベッドで眠れた

第2日目
2010年12月23日(木)

イタリア観光の始まりです。専用バスで移動!

カゼルタの王宮
世界文化遺産

宮殿の建設は、1752年にナポリ王カルロ7世(後のスペイン王カルロス3世)の命令で造られた。、
お抱え建築家ルイージ・ヴァンヴィテッリ指揮の下に始められた。

結局、カルロ7世は宮殿で寝泊まりすることのないまま1759年にスペイン王位に就き、
建設が終わったのは三男フェルディナンド4世の代になってからだった。
ナポリ王国時代の絢爛豪華な王宮。

宮殿の理想としたのは、ヴェルサイユ宮殿だった。

     
     

ポンペイの遺跡
世界文化遺産

ポンペイは、1世紀までナポリ近郊にあった古代都市です
79年のヴェスヴィオ火山噴火による火砕流によって地中に埋もれた。
18世紀に発掘が開始され、現在は主要な部分が有料で一般公開されている。


海の入り口 
   
後ろに見えるのはヴェスヴィオ火山
     
パンやの窯・手前は石臼

第3日目
2010年12月24日(金)

アルベロベッロ
世界文化遺産

アルベロベッロにはトゥルリ(「部屋一つ屋根一つ」の意)という建物が約1,000軒ある。
トゥルリと呼ばれるとんがり屋根と白壁の町並みが可愛らしい。
16世紀半ば以後100年の間に土地開墾のため集めた農民が住むのにこの家屋を作らせた。

     

マテーラ洞窟住居
世界文化遺産

サッシ(岩壁を意味するサッソの複数形)とは、洞窟住居のことである。
長らく小作農民の住居であったサッシは、南イタリアの貧しさの象徴的な見方がなされ、
第二次世界大戦時には不衛生で不便な暮らしが嫌われ、廃墟と化していった。

その評価を気にしたイタリア政府が、一九七〇年代以降、建築学上貴重なものとして省みるようになった。
政府が保存に乗り出し、世界遺産へ登録が後押しとなり、人が戻り始め、現在は洞窟住居の7割に人が住んでいる。
また、サッシを利用したホテル、オフィス、レストランも開業した。

     

ナポリ
世界文化遺産

ナポリ考古学博物館

イタリアを代表する2大博物館がナポリにあります。それがこの国立考古学博物館です。

国立考古学博物館の展示品はファルネーゼ・コレクションと呼ばれる世界で屈指のギリシャ・ローマ時代の作品たちです。
「大理石彫刻」「壁画」「モザイク」のほかポンペイやエルコラーノ遺跡からの発掘品、宝石やエジプトの美術品もあります。

     

ナポリ市内

 
ヌォーヴォ城
   
ヌォーヴォ城
 
卵城
   
ナポリの海岸

第4日目
2010年12月25日(土)

アマルフィ
世界文化遺産

織田裕二主演『アマルフィ 女神の報酬』で一躍脚光を浴びた~アマルフィーの美しい海岸です。

「世界一美しい海岸線」といわれるソレント半島南岸の30kmに渡る海岸線です。
狭い断崖の上をバスは走り、カーブも続きます。対向車とすれ違うのもままならぬほど
「アマルフィ」「ポジターノ」などの崖の上、階段状に出来た街に一歩足を踏み入れると、入りくんだ小路が迷路の世界に誘い込みます。
上から眺める地中海の美しさには目を奪われます。 

     
     
     

第5日目
2010年12月26日(日)

カブリ島

リゾート地として世界中の憧れの地、カプリ島。
青の洞窟やソラーロ山など、いつでも私たち旅人を楽しませてくれる島です
「ナポリ湾の真珠」と呼ばれるカプリ島は、イタリア南部のナポリからフェリーで80分、水中翼船で35~50分の沖合に浮かぶ島です

カプリ島の人気スポット「青の洞窟」。海面と接する崖に開いた小さな口から差し込む光で、
その名の通り、洞窟内の海水が鮮やかな青に輝きます。
残念ながら当日は天候不順で青の洞窟観光は中止になりました

     
     

第6日目
2010年12月27日(月)

ローマ歴史地区
世界文化遺産

サン・ピエトロ寺院
世界文化遺産

世界一小さい国バチカン市国の南東端にあるカトリック教会の総本山。

カトリック教会の伝承によれば、サン・ピエトロ大聖堂はもともと使徒ペトロの墓所があったところに建立されたとされ
キリスト教の教会建築としては世界最大級の大きさを誇る。床面積2万3,000m²。
北に隣接してローマ法王
の住むバチカン宮殿、バチカン美術館などがある
国全体が「バチカン市国」として
(文化遺産)に登録されている。

     
     
     
     

システィーナ礼拝堂

システィーナ礼拝堂はサン・ピエトロ大聖堂に隣接しバチカン宮殿内に建てられた礼拝堂。
ミケランジェロが描いた「創世記」などの天井画
「最後の審判」の壁画
法王を選出するコンクラーヴェの会場

残念ながら撮影は禁止されていました

 

コロッセオ
世界文化遺産

「グラディエーター」2000年に公開されたアメリカ映画の舞台のサンプルになった。

コロッセオは、ヴェスパシアヌス帝が紀元72年に着工した円形競技場です。
80年彼の息子ティトス帝により完成されました。
2階からは、地下から4階までコロッセオ全体を見渡すことができます。
5万人収容の競技場は
1階が大理石張り(石切り場としてはがされ、ほとんど残っていませんが.貴賓席、
2階が庶民の木製席でした。3階は立ち見席。
剣闘士や猛獣、囚人を収容していた地下は、現在床がなくなっているので上から一望できます。
この競技場では300年以上もの間、剣闘士や猛獣による競技が行われていました

     
     

ポポロ広場
古くから交通の要所であり、ローマの入口に当たる広場である
中央にオペリスクが建てられ、南に向かって3本の道路が放射状に伸びている。
バロック期には広場に面してドームを載せた2つの教会(双子教会)が建設された。
さらに19世紀になって、噴水の整備、建物の改築などが行われ、現在見る姿になった。

 
 
入口
   
左のサンタ・マリア・デル・ポポロ教会
     



「天使と悪魔」の映画はサンタマリアデルポポロ教会.の「聖ペテロの逆さ磔」を連想したとされる

 
「聖ペテロの逆さ磔」

スペイン広場

映画「ローマの休日」でオードリ・ヘプバーン扮する王女がジェラードを食べたシーンでもおなじみの場所である。
間近にあるスペイン大使館にちなんで命名された
フランスの外交官の寄付によって造られたものの、スペイン広場にあるためこの名で呼ばれている。
広場の中央には、「バルカッチャの噴水」がある。東には後述の大階段がある。

     

カンツォーネディナー

     

第7日目
2010年12月28日(火)

シエナ歴史地区
世界文化遺産

イタリア中部トスカーナ地方のシエナは、
中世、ヨーロッパの金融業の中心地として栄え、豊かな財力を持った都市国家として独立していました。
町の中央にある扇形をしたカンポ広場、
そして周囲に連なる12世紀から16世紀にかけて築かれたゴシック様式の美しい建造物が、華やかだった中世の姿を今に残しています

     
 
カンポ広場
   
カンポ広場

シエナ大聖堂

大理石の横縞模様が印象的なシエーナ大聖堂は、市中心部のカステルヴェッキオの丘の上に聳えている。

     
     

サンジミニャーノ歴史地区
世界文化遺産

1150年にコムーネとして成立。
街には以前から防衛のための塔が建設されており、
13世紀に入り街が繁栄したことで、貴族の権力の象徴としての塔建設が次々と行われ、
50mを超える物を含む72もの塔が街内に建設された。
教皇派と皇帝派に分かれて、より高く、美しい塔を建てることを貴族同士競い合った。
当時は防衛や監視のためイタリアの他の都市でもこういった塔の建設が行われていた

他の多くの街では塔は不要なものとして解体され、街の再開発が行われたが、
サン・ジミニャーノは経済的な余裕もなく、寂れていたため戦争などに巻き込まれることもなく、
塔も町並みも13世紀から14世紀の状態を良く残している。
現在残っている塔の数は14。街並、城壁を含めて地区として世界遺産に登録された。
地区内には12世紀 - 14世紀頃に建設された建築物が林立している。

     
     

第8日目
2010年12月29日(水)

ピ サ
世界文化遺産

ピサの斜塔
イタリアのピサ市にあるピサ大聖堂の鐘楼
世界遺産「ピサのドゥオモ広場」は大聖堂・斜塔(鐘楼)・洗礼堂から構成する観光スポット
傾斜の原因は、1990年から改修工事前に行われた地質調査によれば、地盤の土質が極めて不均質であったことである。
現在の傾斜角は約5.5度で、傾斜の進行は止まっているそうである。

 
 
ピサの斜塔(鐘楼)
   

大聖堂 
   
大聖堂内部
 
洗礼堂
   
洗礼堂内部

フィレンツェ
世界文化遺産

トスカーナ州の州都。フィレンツェはメディチ家統治時代にルネッサンス文化が花開いた街。

街の歴史的な中心部は世界遺産、
花の聖母寺ドゥオーモ、シニョリーア広場
ヴェッキオ宮殿(市庁舎)、ミケランジェロ広場、ピッティ宮殿、
ヴェッキオ橋とアルノ河、サンタ・クローチェ教会をはじめ
、ミケランジェロやボッティチェッリ、ダ・ヴィンチ等の巨匠達の作品を鑑賞できるウッフィツィ美術館、
アカデミア美術館、パラティーナ美術館、サンマルコ美術館、バルジェッロ美術館、
メディチ家礼拝堂等見所はつきません。

  

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

フィレンツェの大司教座聖堂であり、
ドゥオモ
(大聖堂)、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ジョットの鐘楼の三つの建築物で構成される。
教会の名は「花の(聖母)マリア」の意。

巨大なドームが特徴の大聖堂は、
ゴシック建築および初期のルネサンス建築を代表するもので、
フィレンツェのシンボルとなっている。 


 
     

ドゥオモ(大聖堂)内部

ウッフィツィ美術館、

メジチ家歴代の美術コレクションを収蔵する美術館で
イタリアルネサンス絵画の宝庫である。
ヴィーナスの誕生&春(サンドロ・ボッティテェッリ)に感動。

     


 
美術館
     

ヴェッキオ橋とアルノ河

     
     

第9日目
2010年12月30日(木)

ベニス
世界文化遺産

ヴェネツィア共和国として輝かしい歴史をもち、街全体と潟が世界遺産に登録されています。
北イタリアのベネト州の州都で、アドリア海の最も奥まった所にある潟(ラグーナ Laguna)の上に形成された水の都である。

黄金のモザイクが威厳を放つサン・マルコ大聖堂、ドゥカーレ宮殿や鐘楼のあるサン・マルコ広場、溜息の橋、
運河をゴンドラが行き交うそのロマンチックで美しい姿は世界中の観光客の旅情を誘います。
また、仮面が印象的なカーニヴァルや歴史的レガッタ、映画祭、ビエンナーレ等のイベントも世界的に有名です。

季節によって、特に冬の季節は高潮の影響で広場が浸水することがあり、橋桁が渡されます。

     
     
ため息橋
     
 
サンマルコっ広場
   
サン・マルコ大聖堂

第10日目
2010年12月31日(金)

ミラノ
世界文化遺産

イタリアの第二の都市であるミラノはイタリア北部ロンバルディア州に属し、人口は約130万人。
ミラノは生臭いヨーロッパの歴史の中で何度も占領や統治を繰り返してきた。
中世後期とルネサンス時代にヴィスコンティ家とスフォルツァ家という2大貴族によって統治されたが、
今でも「スフォルツェスコ城」はミラノでも有名なスポットであり当時の面影を垣間見ることができる。
ミラノはルネッサンスの時代にはレオナルド・ダ・ビンチが二十数年滞在したことでも有名で、
現在でも彼の描いた世紀の大傑作「最後の晩餐」は近年、本や映画「ダヴィンチ・コード」でも取り上げられた

ミラノコレクションなどで知られるように古くから服飾・繊維産業などファッション関連の産業が盛んな土地柄である

スフォルツェスコ城

ミラノにある城塞。現在は美術館としても公開されている。
1450年にミラノ公爵がヴィスコンティの居城を改築して現在の姿となった。

     

ミラノスカラ広場

     

ミラノドゥオモ

ミラノのドゥオーモはミラノの象徴である。 都市の中心の同名のドゥオーモ広場に位置している。、
1386年の着工から500年の歳月をかけて完成した、聖母マリアの誕生に捧げた大聖堂

     
 
ドゥオーモ内部
   
ドゥオーモ内部
 
ドゥオーモ屋上
   
ドゥオーモ屋上
 
ドゥオーモ屋上の夕日
   
ドゥオーモ屋上の夕日

サンタマリア・デレ・グラッテェ教会(最後の晩餐)

サンタ・マリア・デレ・グラツィエ聖堂修道院の食堂に描かれたレオナルド・ダ・ヴィンチ作『最後の晩餐』。
ダ・ヴィンチが生涯に手がけた壁画のうち、現存する最も代表的な作品であり、
当時のミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァ(ルドヴィコ・イル・モーロ)の依頼により
ミラノのサンタ・マリア・デレ・グラツィエ聖堂修道院食堂の装飾画として制作された
現在も手厚く保存されて見学者の人数は制限されて1グループは15分間
 

赤い部分が教会・白い部分が食堂 
   
赤い部分が教会・白い部分が食堂

ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア(アーケード)

イタリアの都市ミラノにあるアーケード名称。
2つのアーケード(8角形の建物に2つのアーケードが交差する)に覆われ、ミラノドゥオーモ広場の北に位置
し、ミラノスカラ広場へ通じている。
イタリア王国の初代国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世にちなんで名づけられた
最初に1861年にデザインされ、イタリアの建築家ジュゼッペ・メンゴーニによって1865年から1877年の間に建設された。
巨大なガラス張りのショッピング・アーケードの原型であった。

 
アーケード入り口
   
     

第11日目
2011年1月1日(土)

謹賀新年

ミラノのホテルで新年のカウントダウンで花火が上がり。爆竹が鳴る。

     

ミラノ空港から帰国へ

フィンランド航空・ミラノ~午前11時25分発✈約3時間✈ヘルシンキへ向かう

     

第12日目
2011年1月2日(日)

フィンランド航空・ヘルシンキ~17時25分発✈9時間35分✈関西空港へ向かう

 
 
ヘルシンキ空港は雪景色
   

関西国際空港へ昼前に無事に到着
空港内のお寿司屋さんに立ち寄り久しぶりの日本食を堪能して解散しました

おわり