小池喜美枝写真展「南十字星の島」
パプアニューギニア慰霊巡拝


2017年10月5日(木)〜11日(水)

ニコンプラザ大阪・THE GALLERY

 


「南十字星の島」
パプア・ニューギニア

最後の秘境と言われる美しい国です。 

戦後70年記念で戦没者遺児による慰霊友好親善事業で東部ニューギニアを慰霊巡拝に訪れました。

父はこの島で戦死しました。遺骨は帰っていません。

第2次世界大戦は悲惨な戦争であった事実を知りました。

日本から救援物資が届かず見捨てられた戦線で

日本兵は餓死・栄養失調と山中を彷徨いながら過労で行き倒れ又はマラリア等で病死したと聞きました。

父の終焉の地と言われるスマタインを訪れて慰霊して哀悼の辞を述べました。

懐かしさと悔しさ無念で涙がこみ上がりました。

父の顔や温かみを知らない子供の慟哭です。

「お父さん一緒に日本へ帰りましょう」と訴えました。

 敗戦70年を経ても悲惨な戦争の傷跡は沢山残っています。

 現地の病院や学校を訪れて子供達や現地の人々と友好・親善交流をしました。
肌の色や言葉は違っても交流は大変有意義でした。

 二度と悲惨な戦争のない平和な世界を!

戦争で苦しむ人が無い事を切に祈りました

 
木彫りの民芸品・祖先精霊の守護

 
バナナの木と葉で作った家屋

 
公共交通は無いデコボコ道をトラックの荷台に相乗りして移動

 
カヌーは交通手段・漁業として大切

 
川は住民と密接な関係・洗濯・炊事・沐浴

 
橋の無い川で浅瀬を探して渡る四輪駆動車

 
縮毛の少年・つぶらな瞳と笑顔が素敵

 
シャイボーイ・カメラを向けるとはにかみながら笑顔を呉れました
 
オールヌードの年少の少年

 
元気な男の子上半身は裸
 
フレンドりーな少年達

 
美しい瞳

 
お母さんの髪形がバクハツの親子

 
母と子・赤ちゃんの瞳が美しい

 
美少女

 
村人達・ゆったりと時間が流れる

 
刺青の女

 
政府建立・ニューギニア戦没者の碑(ウエワクにある)

 
家族写真を父の霊前に供える

 
お父さん会いに来ました。一緒に日本に帰りましょう

 
海に向かって花束を投げて鎮魂を祈る

 
英霊碑(東部ニューギニア・ウエワク)

 
慰霊祭の準備(東部ニューギニア7ブーツ周辺)

 
慰霊碑の清掃・原住民が日本刀で草刈り

 
原住民も慰霊祭に参加

 
父の終焉の地を尋ねて慰霊

 
日本兵が使った機関銃

 
日本兵の鉄兜

 
呑龍(爆撃機)ジャングルの中に70年放置

 
ライフル銃のポリスマン・治安が悪い

 
笑顔の母子

 
見物客・慰霊祭を行うと沢山人が集まる

 
木の上の見物客

 
朝市のバナナ売り

 
朝市で魚売り(油で空揚げしてる)

 
ピーナツ売り

 
籠を編む女

 
部族の踊り

 
リズミカルな踊り

 
折り鶴と兜で子供達と交流

 
縄跳びの綱をプレゼント

 
折り紙で子供達と交流

 
教会のシスターが勉強を教えている

インタビュー(ニッコールクラブ会員展)

作品について教えてください

戦後70年記念の戦没者遺児による慰霊友好親善事業で、東部ニューギニアを訪れた際に撮影したものです。
パプアニューギニアは、第二次世界大戦中に日本軍と連合軍の戦いに巻き込まれた国です。
私の父は戦渦に巻き込まれ、遺骨も帰っていません。
今回、父の戦死した土地を訪ねることができ、懐かしさと悔しさ、無念の思いがこみ上げる中で撮りました。

慰霊の様子と、現地の子どもたちの写真で構成されています

慰霊に訪れたのは、おととしと昨年の2回です。
ジープや小型飛行機を使って、父が戦死したといわれる奥地へ向かいました。
錆びついた機関銃や榴弾などが、今でも放置されたまま遺されていました。
現地では、子どもたちの笑顔がとても印象に残っています。
病院や学校を訪れ、折り紙でツルを折ったり、歌を歌ったりして交流しました。
彼らはとてもフレンドリーで、私たちを歓迎してくれました。

展示を通して伝えたいことは?

素朴な暮らしを営むニューギニアの人びととの交流を経て、二度と彼らに迷惑をかけたくないと感じました。
これ以上、戦争で苦しむ人が無いように。言葉や文化、肌の色が違えど、わかり合うことはできます。
悲惨な戦争が起きない、平和な世界になることを祈っています。

顧問講評 ハナブサ・リュウ

小池さんの作品には愛があります。
それは、お父さんの憧憬を追い求める気持ちと符合しています。
「父の終焉の地」、この赤道直下にある美しい島はかつて戦場でした。
現在の島民の様子や子どもたちの愛くるしい瞳から計り知ることは難しいですが、
遺品や残骸、傷痕が今も島のあちこちに残っていて、当時の悲惨な状況を垣間見ることができます。
憎むべきは戦争、守るべきは平和。
そんな想いが感じられる作品には、遠い戦争の記憶、慰霊友好親善の貴重な記録、
そして、平和への強いメッセージが込められているのです。

撮影者プロフィール

1938年、京都府出身。70歳から写真を学び始める。
過去の写真展に、ニコン大阪フォトスクエア「美ら海・宮古」「巡礼地」「三人官女」などがある。



 

大勢の皆様にご足労頂きまして有難う御座いました