琵琶湖周遊

秋の琵琶湖
琵琶湖周航の歌を唄う度に何と無く哀愁を感じます
いにしえから色んな歴史に登場した琵琶湖を画像で纏めました

琵琶湖周航の歌

大正6年6月、第三高等学校(現京都大学)二部クルーは学年末(当時7月卒業)の慣例によって琵琶湖周航に出ていました。小口太郎ら一行は大津の三保ケ崎を漕ぎ出て、1日目は雄松(志賀町近江舞子)に泊まり、2日目の6月28日は、今津の湖岸の宿で、疲れをとっていました。
 その夜、クルーのひとりが「小口がこんな歌をつくった」と同行の漕友に披露し、彼らはその詞を、当時彼らの間で流行していた歌の節に乗せるとよく合ったので、喜んで合唱したということです。
「琵琶湖周航の歌」誕生の瞬間でした。



琵琶湖の日の出

我は湖の子放浪の
旅にしあればしみじみと
昇るさ霧やさざなみの
志賀の都よいざさらば













琵琶湖の落日



波のまにまに漂えば
赤い泊火懐かしみ
行方定めぬ波枕
今日は今津か長浜か













浮御堂
近江八敬景の一つ堅田の落雁として有名な堅田の浮見堂
琵琶湖の最狭部に位置し 海門山満月寺と称する禅寺 京都紫野大徳寺に属する
現在の浮見堂は昭和12年の再建

浮御堂


松は緑に砂白き
雄松が里の処女子は
赤い椿の森陰に
はかない恋に泣くとかや










竹生島

琵琶湖八景の一つ「深緑・竹生島の沈影」で知られる周囲2kmの小さな島

島全体が深い自然林で覆われている為 湖面に浮かぶ小さな森のように見える
島内の宝巌寺・都久夫須麻神社は古くから参詣に訪れる人が絶えない

竹生島


瑠璃の花園珊瑚の宮
古い伝えの竹生島
仏のみ手に抱かれて
眠れ処女子安らけく








竹生島スライドショー
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彦根城

見晴らしの良い彦根山にそびえ立つ
天下分け目の「関が原の合戦」のあと 徳川家康が幕府の軍事的重要ポイントとして築城
家康の配下にいた井伊直政が城主に任され 以降明治時代まで約250年間 井伊家が彦根を治めた
三十五万石の城下町として栄えた

彦根城


矢の根は深く埋もれて
夏草繁き堀の跡
古城に独り佇めば
比良も伊吹も夢の如









日吉大社

森閑とした境内に朱塗りの社殿が建つ
国宝の東本宮・西本宮の両本殿をはじめ 豊臣秀吉が寄進した日本最古の石橋「日吉三橋」がある


瀬田の唐橋
近江八景の一つ「瀬田の夕照」で名高い
古くから「唐橋を制するものは天下を制する」とまで言われた交通の要衝
現在の橋は昭和59(1984)年に架け替えられた



石山寺

瀬田の清流を望む西国三十三所第十三番札所
天平宝宇5(761)年に東大寺の僧 良弁が開基したと伝わる古刹
平安時代に真言宗の道場となり貴族が相次いで参詣した
紫式部が籠って「源氏物語」を執筆したことで知られる
東大門を入ると国の天然記念物珪灰石が見られる
広い境内には国宝の本堂・多宝塔を含む諸堂が立ち並ぶ 月の名所として名高い



三井寺(園城寺)

7世紀後半に大友与多王が創建したと伝えられる
貞観元(859)年に比叡山の僧円珍が再興 以後天台別院として門徒に受け継がれた
広大は境内には国宝の金堂をはじめ 国の重要文化財が立ち並ぶ
俗に三井寺と呼ばれるのは 天智・天武・持統天皇の産湯に使われた霊泉がある
近江八景の「三井の晩鐘」で名高い鐘楼がある

三井の晩鐘


三井寺のスライドショー
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