秋の京都散策

平成17年の秋

秋のライトアップ


永観堂

知恩院

青蓮院

仁和寺
京都府京都市右京区御室大内33
仁和4年(888年)、宇多天皇によって創建された。
諸建造物以外の文化財は毎年春秋の両季に境内の霊宝館で一般に公開される。
世界遺産にも登録されており、桜の名所としても知られる。

金閣寺
京都府京都市北区金閣寺町1
室町時代に足利三代将軍義満が築いた山荘。
後に夢窓疎石を開山とし臨済宗相国寺派の禅寺になり、鹿苑寺と改められた。
鏡湖池にたたずむ金色の三層楼は昭和25年に焼失し、昭和30年に再建されたもの。
京都を代表する建築物として、1994年世界遺産に登録された。

銀閣寺
京都府京都市左京区銀閣寺町2
前身は室町幕府八代将軍義政が創建した山荘・東山殿。正しくは禅宗臨済の寺院「慈照寺」。
金閣寺(鹿苑寺)に対して銀閣寺と呼ばれるようになった。
二層楼の観音殿(銀閣)、庭園の向月台や銀沙灘など東山文化を象徴する建造物があり、世界遺産に登録されている。

京都御所
京都府京都市上京区京都御苑3
京都御苑内にあり、明治の初めまで実際に、天皇がお住まいになったところ。春と秋に一般公開が年2回行われる

時代祭り
10月22日、京都の三大祭りの一つの時代祭が行われる。
明治維新から延暦時代へ、新しい時代から古い時代へと繰り広げられる一大時代絵巻で京都御所から平安神宮まで練り歩く。
平安遷都1100年にあたる明治28年3月に桓武天皇を祭神とする平安神宮が創建された。
その祭りを盛大に行おうと、京都が都であった時代の風俗の変遷を表現する時代行列が提案され、その第1回が同年10月25日に挙行された。

実相院
京都府京都市左京区岩倉上蔵町
岩倉門跡と呼ばれる名刹。1229年(寛喜元)、紫野に創建されたが、1411年(応永18)に現在地に移転。
その後も兵火で伽藍の多くを失ったが、江戸初期に足利義昭の孫・義尊[ぎそん]僧正が天皇家と徳川家の援助で再興。
以降、皇子や皇族が相次いで入寺した。襖絵は狩野派の絵師によるもの。板の間にもみじが映り込む「床もみじ」が有名。

岩倉具視隠棲地
左京区岩倉上蔵町
岩倉具視幽棲の地。和宮降嫁に奔走した岩倉具視は公武合体派の勢いが弱まると共に京都を追われ、岩倉村での隠棲生活を強いられることとなった。実相院の近く
この幽棲の地には大久保利通や中岡慎太郎が通ったといい、数々の陰謀がこの場所から発せられたものと思われる。

大徳寺
京都市北区紫野大徳寺町53
京都の北、紫野に在る。元応4年(1319)に大燈国師によって創建された。応仁の乱後に衰退したのを一休禅師によって中興された。
南から勅使門、三門、仏殿、法堂、本坊と整然と配置された山内は、禅宗伽藍の典型である。
三門は、千利休が自分の像を安置して、秀吉の怒りをかったことで有名である。本坊にある唐門(国宝)は、秀吉の聚楽第の遺構と伝えられ豪華な彫刻が施されている。方丈(国宝)各室の襖絵は、狩野探幽の山水画が描かれている。
方丈前には小堀遠州の作庭になる枯、山水式庭園がある。
境内に21の塔頭が有り大仙院/高桐院/竜源院は常時拝観出来ますが他の塔頭は春/秋の一時期に一部公開される事が有ります。

真如堂
京都市左京区浄土寺真如町82
10世紀末、比叡山常行堂から阿弥陀如来を移したのが起源とされる名刹。
江戸中期建立の巨大な本堂や美しい三重の塔などが立ち並ぶ。秋には周辺が、紅葉や萩により美しく色付く。

詩仙堂
京都市左京区一乗寺門口町27  
もとは江戸初期の文人、石川丈山が隠棲した山荘であった詩仙堂は、丈山寺という名の曹洞宗の寺である。丈山は徳川家康の家臣で、90歳までこの山荘で悠悠自適の風雅な暮しをしたが、その一室の壁に、狩野探幽に描かせた中国の詩仙三十六人の肖像と詩があることから、いつからか詩仙堂と呼ばれるようになった。

曼殊院
京都市左京区一乗寺竹ノ内町42
天台宗の門跡寺院でもとは比叡山にあった。
1656年良尚法親王が今の地に移し建物と庭園が整えられた。大書院(本堂)は重要文化財であり、庭園は白砂が美しい枯山水。
尚法親王のお住まい

あだしの念仏寺
京都市右京区嵯峨鳥居本化野町17
古来は風葬(後に土葬)であったため遺骸が野ざらしになっていた。
それを810年頃弘法大師が寺を建立し埋葬した、そして多くの人が石仏を奉り霊を慰め離別を悲しんだところである