バリ島

平成28年度戦没者遺児による慰霊友好親善事業
東部ニューギニア
慰霊友好親善訪問団




2016年10月12日(水)〜10月19日(水)8日間


第1日目
2016年10月12日(水)

千鳥が淵戦没者墓苑

第2次世界大戦で世界の各地で戦死した無名戦士の遺骨が納骨されています
父の遺骨ももしかしてとは思いますが父の遺骨は帰還していません
◇第 2次世界大戦 :1939 年 9月〜1945 1945 年 9月: の間に310万人の尊い人命を失いました
日本は戦後70年を経て平和と輝かしい繁榮遂げています
先の大戦で尊い命をかけて戦って頂いた犠牲の御蔭と存じます。感謝申し上げました


     

2016年10月12日(水)
午後1時

靖国神社内・靖国会館2階で結団式

A斑
総括団長1名
遺族会責任者1名
男子団員6名
女子団員8名
北は北海道から南は九州から遺児は全員で14名が集まりました
添乗員1名(東武トップツアーず梶j

靖国神社参拝

明治5年に建てられた本殿には、246万6千余柱の神霊がお鎮まりになります。
本殿内に掲げられた明治天皇の御製に触れると、靖国の杜に籠められた先人たちの想いが心の奥底にまで沁み透ってきます。
心静かに神霊を偲ぶ本殿内での参拝(昇殿参拝)をして英霊の慰霊と巡回慰霊の旅の安全を祈念しました

     

出 発
2015年10月12日(水)
            成田空港:21時05分発<ニューギニア航空055便>パブア・ニューギニア・ポートモレスピー空港へ向かう

     


第2日目
 2025年10月13日

 
パブア・ニューギニア・ポートモレスピー空港:04時55分着

朝食
朝食の為ポートモレスピ市内のホテルへ向かう

首都の朝食バイキングは豪華ですが〜
之からが心配です

     

午前中は首都・市内視察
郊外の各地に慰霊の碑があります
種族の女性です

 
慰霊碑
   

午後
ウエワクへ移動
ポートモレスピー空港から国内線で移動
ポートモレスピ空港・国内線<ニューギニア航空>ウエワく空港へ向かう

   


第3日目
2016年10月14日午前

機上様遥拝

小型飛行機をチャターして上空から父の終焉の地を巡回慰霊しました
ブーツ→バラム→ソナム→スマタイン→ヤカムル→坂東川→アイタペ→セルニ→ワンダンゲ→ウイフン

 
     
     

午後
2016年10月14日

山南方面慰霊

     


第4日目
2016年10月15日


病院慰問友好親善訪問
ダグア

病院・保養施設を訪問して車いす・松葉杖・
それぞれが日本から持参した介護用品を寄贈

 
     

     悪路を奥地へ移動
空冷4輪駆動車で分乗して行く
治安が悪いのでライフル銃携帯のポリス二人が同行
     

川には橋が無く増水の為渡る事が出来ないのでバラムで引き返す
     
     
     


バラムで6人の英霊の慰霊祭

     
     


ブーツで3人の英霊の慰霊祭

     

ダグアで一人の英霊の慰霊祭を行う
日が暮れてきました

     


第5日目
 2016年10月16日

アンゴラム方面へ慰霊の為へ出発

川のほとりで慰霊日本兵はこの川が渡り切れず力尽きて流されて行くえ不明になりました

     

帰路
ウエワク周辺英霊碑で慰霊
ウエワク周辺
東部ニューギニア戦線は、
昭和17年から20年8月までの戦いで12万、または15万名とも言われる日本軍将兵が戦没し、
終戦時に帰国できたのは約1万名に過ぎません。
これらの戦没者の多くは戦闘による「戦死」ではなく、飢えや病いによるものでした

     
     


川畑静氏表敬訪問
川畑静氏(パラダイス・ニュー・ウエワク・ホテル・オーナー)1926年生まれ 
パブア・ニューギニア・ウエワク在住
  遺骨収容や慰霊巡拝のためにウエワクを中心とするセピック地方を訪れる日本人の世話を長年にわたり続ける。
  発見された遺骨の焼骨式を敷地内で実施する等の協力を行うとともに,
ニューギニア戦没者の碑の維持管理に携わる。

     
     

第6日目
 2016年10月17日

午前中
ウエワク周辺の学校へ友好訪問
この学校は教会関係の経営

ボールや其々が持参した学用品を寄贈して縄跳びや折り紙で遊びました
日本の歌も歌って呉れました(草津節・ウサギとカメ)
     
     

午後
全戦没者合同追悼式


「ニューギニア戦没者の碑」
ウエワク平和公園


     
     

第7日目
 2016年10月18日
帰路
首都ポートモレスピへ移動

3時45分:モーニングコール
4時30分:ホテル出発
ウエワク空港<6時10分発→ポートモレスピ空港に向かう
ウエワク空港からポートモレスピへ
     


ポートモレスピー市内視察
動物・植物園を見学
ニューギニアの国鳥極楽鳥
 
看板です
色んな種類が居るそうですが〜
上手に撮れません
   
     


昼食は日本食「大黒屋」

     

ポートモレスピー市内
首都は山間部から人が流れ込み職業が無く難民状態と聞きました
道路事情は昨年より良くなりました
     

夕食

合同懇親会

ニューギニア政府からの来賓そして大使館の大使他1名と懇親会
民族舞踊も楽しみました

     
     


民族舞踊

     
     

第8日目
2016年10月19日

午前
荷物を国際空港成田行きに預けて市内見学へ

パブア・ニューギニア国会視察
国会内は撮影禁止

     
国章

昼食食は中華料理
 

帰国
ポートモレスピー空港
     

ポートモレスピー空港14:10発→ニューギニア航空→成田国際空港19:15着

成田国際空港にて解団式
専用バスで東京都内のホテルへ向かう

第9日目
2016年10月20日
ホテルで朝食後各自帰途につく

感想

「南十字星の島」

パブア・ニューギニア

 パブア・ニューギニアは赤道直下、巨大なニューギニア島の東半分が最後の秘境と言われる国です
大小700もの島からなるパブア・ニューギニアは高地族を中心に多くの部族で構成されています
植民地から独立して未だ約40年で発展途上国です

 平成28年度戦没者遺児による慰霊友好親善事業
東部ニューギニア慰霊友好親善訪問団
パブア・ニューギニアを訪れました

1941年〜1945年に第2次世界大戦に於いて悲惨な激戦が行われた島です
東部ニューギニアだけで14万人もの日本兵が戦死しました
遺骨収拾も終わらず沢山の遺骨は現在も放置されています

 戦争遺児達は父親に抱かれた事も無く顔も知らない人が多いのです
父の顔も知らない戦争遺児が父の終焉の地を訪れて慰霊して哀悼の辞を述べました

「お父さん」私の顔を見て下さい。一緒に日本へ帰りましょうと呼び掛けました
父の心情を思い〜懐かしさと悔しさ無念で涙がこみ上がりました

 しかし島民の笑顔は明るく!日本人にとてもフレンドリーです
パプアニューギニアの海の青さ、透き通った水に空気・森の緑自然は素晴らしいです

 穢れの無い・つぶらな瞳の子供達の未来に温かい光と幸多かれと祈ります
日本兵が教えた日本の歌♪もしもし亀よ亀さんよ♪の歌が彼らの祖父から受継がれてました

 病院を訪れて車いす・松葉杖・介護杖・衛星用品を寄贈
学校を訪問して各自が持参した学用品・衣類・生活用品を寄贈
縄跳び・折り紙を通じて子供たちと友好・親善交流をはかりました

 二度と悲惨な戦争のない平和な世界を!人類が戦争で苦しむ事が無い事を祈りました
 戦争を知らない世代の人々にこの思いが伝われば幸いです


拙い旅行記にお付き合い頂き有難う御座いました